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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「升天入地求之遍」白氏文集の有名な漢詩
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる夕霧邸の匂宮と薫の君(椎本・絵巻)
閉じる舟で演奏しながら姫君邸に向かう匂宮
閉じる八の宮の家系図(大君・中の君)
閉じる京都・三室寺(八の宮の別荘のモデル)
閉じる宇治平等院(夕霧の別荘のモデル)
オススメ度 4.1点
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自筆「源氏物語」の「椎本(しいがもと)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。『燕石雑志』 曲亭馬琴 文化8年 5巻 全6冊 随筆。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。写本 藤堂高兌『聿脩録』(全二巻揃・五分冊)戦前期成立 藤堂高虎伝 伊勢津藩第十代藩主 三重県郷土史料。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。【中古】 或る男の首 (1955年) (Hayakawa Pocket Mystery 232)。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。十三朝紀聞。現在の今上天皇と系譜がつながっている。中国古代官職 唐管鈔 上中下合本1冊揃 寶暦3年文泉堂初刷 検索 和本 唐本 古文書 法律 古文書。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。葛飾北斎『北斎臨画初篇』江戸後期刊 江戸時代和本 彩色木版画譜 題箋及び序は「北渓漫画初篇 全」魚屋北渓。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。出羽國亀田藩6代藩主 岩城隆恭(改名前書:隆光⇒隆恭)『家臣宛て書状』〔紙本肉筆真作〕/大名 古文書 詩文 家臣 神谷軍隊長 松館。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【中古】 積極的生き方の魔術 (1966年)。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。【中古】 心理科学における個人的記録の利用法 (1970年)。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。【中古】 われ等の新兵器 (1942年)。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。【中古】 物質の哲学的概念 (1958年)。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。【中古】 共産世界とどうつき合うか 新時代の東西関係 (1964年)。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。令義解 十冊揃い。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。諸礼大学。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【中古】 地方公営企業論 (1965年)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。【中古】 日本食肉史 (1956年)。従って、応永五年とは、書き始めの年である。★B20和本江戸安永9年(1780)木版本「古今和歌集」乾坤2冊揃い/古書古文書/木版摺り。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 技術革新の普及過程 (1966年)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。【中古】 ヨッフェ回想記 (1963年)。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。【中古】 マッテイ 国際石油資本への挑戦者 (1969年) (世界の企業家 7 )。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。【中古】 通信工学ハンドブック (1957年)。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。【中古】 経済人の終わり 新全体主義の研究 (1963年)。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。【江戸初期から中期の過去帳】 伊豆大島島司・大嶋亨蔵 歴史文化史料 N0324A。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【中古】 映画と民族 (1942年)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【中古】 アメリカ保守主義の伝統 (1964年) (社会科学ゼミナール 32 )。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。藤沢南岳・増村度次・武石貞松序 山田寒山篆刻 丸田桜隠著『桜隠七十寿詩』大正5年序刊 漢詩集。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。【中古】 羨望と感謝 無意識の源泉について (1975年)。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。【中古】 墓に唾をかけろ (1967年) (コレクション・アモール)。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。中原淳一ひまわり附録。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。ロシア革命史 リチャード・パイプス/西山克典訳。
出品した「源氏物語」は椎本(しいがもと)の内容の要旨
「椎本」(しいがもと)の巻は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。【中古】 日本のことわざ 第5 講説 (1961年)。二月二十日ごろ、匂宮(今上天皇の皇子)は初瀬詣で(長谷寺参詣)の帰りに宇治の夕霧(源氏の君の長男)の別荘に立ち寄る。【中古】 蒸気表および線図 (1950年)。宇治の八の宮の姫君たちに関心があったからだ。【中古】 教育の森 第5 家庭と学校 (1966年)。匂宮は薫や夕霧(源氏の君の長男)の子息たちと碁や双六をしたり琴を弾いたりして楽しんでいる。w200◆化学入門 全10冊揃◆江戸 慶應3~明治3年 蘭学 洋学 桂川甫策 開成所 一貫堂 幕末 維新@和本/古文書/古書。宇治川を挟んだ対岸にある八の宮邸にもそのにぎやかな管弦の音が響き、八の宮は昔の宮中での栄華の日々を思い出さずにはいられない。【中古】 コミュニケーションと説得 (1960年)。翌日、八の宮から薫に贈歌があり、それを見た匂宮が代わりに返歌をする。【中古】 仏教の根本真理 仏教における根本真理の歴史的諸形態 (1956年)。匂宮は帰京後もしばしば宇治に歌を送るようになり、八の宮はその返歌を常に中君に書かせるようになる。【中古】 人格心理学 上 (1968年)。年の暮れの雪の日、宇治を訪れた薫は大君と対面し、匂宮と中君の縁談を持ち上げつつ、おのが恋心をも訴え、京に迎えたいと申し出るが、大君は取り合わなかった。【中古】 オリンピックの歴史 (1963年)。翌年の春、匂宮の中君への思いはますます募るようになり、夕霧の六の君との縁談にも気が進まない。【中古】 行政行為の公定力の理論 (1960年)。また、自邸の三条宮が焼失した後始末などで、薫も久しく宇治を訪ねていない。w∞6 江戸期 住吉物語 すみよし物語 上・下 全2巻揃い 絵入本 挿絵本 紐綴じ 和本 古書 / E02。夏、宇治を訪れた薫は、喪服姿の姫君たちを垣間見て、大君の美しさにますます惹かれてゆくのであった。法忍律師歌詠。
原本自筆上部に「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 人生には必ず活路がある (1962年)。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。【中古】 怠惰への挑発 (1966年)。漢詩のは「天に昇ったり地に潜ったり、あまねく楊貴妃の魂を尋ね求め」という故事に由来する。修正民法草案 明治発行。椎本の原文の中に匂宮の「おちこちの汀に波はへだつともなほ吹きかよへ宇治の川風」とい和歌がある。【中古】 身体的行動 (1953年) (てすぴす叢書 第20 )。これは、匂宮と中の君の間を歌い「私たちの間に隔つとも宇治の川風よ私たちを親しくさせてください」と意味で、楊貴妃の魂を尋ね求める」ことにも通じる。西国巡禮歌圖繪 上中下。紫式部が「椎本」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。讃州象頭山金比羅霊験記 上下 巻一~五 江戸時代 和本 古典籍。詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。蔵出し【 九星 本暦 方位便覧 萬民活用書 太陽略暦 など 大量 まとめて 】陰陽師 八卦 易学 占い スタンプ 古い 大正 戦前 和本 古書。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」椎本(しいがもと)の巻》
「椎本」の巻は英文で「The Eastern Cottage」と表記されます。日本歴史大系 全6冊 井上光貞他。
《自筆上部の原本自筆上部に原本自筆上部に「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 愛の島々 (1958年) (人と自然叢書)。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。【中古】 日本農村教育 (1943年)。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 性の心理学的研究 (1956年) (世界性学全集 第1 性問題研究会編 )。)
「自筆原本」
自筆右下の上の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。【中古】 工芸と社会 (1947年)。
《自筆上部の原本自筆上部に「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること
遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 古文書。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。【中古】 監査基準と監査手続 (1973年)。》
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。古文字詁林 7巻セット 李圃主 中文 古文字詰林 上海教育出版社。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。渋沢敬三著作集 全5冊 渋沢敬三。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。昇平夜話。
《「源氏物語」椎本(しいがもと)の巻》
《「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】
という漢詩文の落款が押捺されている。聖道得門。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。陸奥國盛岡藩分限帳 江戸後期。》
《匂宮(今上天皇の皇子)・薫の君と宇治八の宮の姫君(中の君・大君)の物語》
《匂宮(今上天皇の皇子)、初瀬詣での帰途に宇治に立ち寄る》
《薫の君、匂宮(今上天皇の皇子)の迎えに八の宮邸に来る》
《秋、薫の君、中納言に昇進し、宇治を訪問》
《薫の君、弁の君から昔語りを聞き、帰京》
《し(知)られやせまし》・・・・はる(春)のしるしも」
「雪ふか(深)きみきはのこ(小)せり(芹)た(誰)か
ため(為)につ(摘)みかはやさむおや(親)なしにして」
なと、はかなきことゝもを、うちかた(語)らひつゝ、
明けく(暮)らしたま(給)ふ。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 開善寺殿泰山正宗大居士 小笠原信濃前司貞宗 高倉族館書写 鎌倉右大将家 書状 古文書。
中納言殿よりも宮よりも、おり(折)すくさす
とふらひ聞こえ給ふ。【中古】 ドイツ経済の奇蹟 (1954年)。うるさくなにとなきこと
おほ(多)かるやうなれは、れい(例)の、か(書)きもらしたるなめり。【中古】 産業連関分析 (1969年)。
花さかりのころ(頃)、宮かさしをおほ(思)し出て、
そのおりみ(見)き(聞)き給ひし君たち(達)なとも、
「いとゆゑありしみこ(親王)の御す(住)まゐを、
またもみ(見)す成にしこと」なと、おほかたのあはれを
くち(口)くちき(聞)こゆるに、いとゆかしうおほ(思)されけり。【中古】 戦後の経済成長 (1966年)。
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。【中古】 企業と税制改革 (1950年)。
《「源氏物語」椎本(しいがもと)の巻》
《匂宮(今上天皇の皇子)・薫の君と八の宮(桐壺帝の皇子・朱雀天皇の皇太子)の姫君(中の君・大君)の恋物語》
《秋、薫の君、中納言に昇進し、宇治を訪問》
《薫の君、匂宮(今上天皇の皇子)の御心ざしを伝え自分の恋心も訴える》
《(阿闍梨)「雪間に摘んだものでございます」
といって、沢の芹、蕨などをお贈り申しあげた。長谷川伸旧蔵書 羽山常太郎編『安房の伝説』大正6年 京房通報社 安房国・千葉県郷土史料 千葉の伝説・昔ばなし。
ご仏前の精進のお食膳にさしあげるのを、
(女房たち)「山里は山里なりに、こうした草木の様子によって、
月日の移り変りのはっきり分るのがおもしろうございますね」
などと女房たちが言うのを聞いて、姫君(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子・
八の宮の大君と中の君)たちは、そんなことがどうしておもしろかろうとお思いになっている。江戸名所図会。
(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子・八の宮の大君「君がをる……(父君が
ご存生で折り取ってくださった峰の蕨であるのだったら、》・・・・春の訪れた
しるしともうなずけましょうに」
(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子・八の宮の姫君・中の君)「雪深い水際の小芹を、
いったい誰のために摘み取って楽しもうというのでしょうか、親もいない私たちは」
などと、あれこれとりとめのないことを話し合われては、明かし暮しておられる。【中古】 日本出版界のあゆみ (1962年)。
中納言(薫の君)殿からも、兵部卿宮(今上天皇の皇子・匂宮)からも、
折々の機会をはずさずにお見舞を申しあげられる。【中古】 体系憲法事典 (1968年)。
わずらわしく、またそう格別のこともないようなので、
例によって、書き漏したのであろう。【中古】 経営学概論 (1969年) (有斐閣双書)。
《十六・匂宮、中の君と贈答する》
花盛りのころ、兵部卿宮(今上天皇の皇子・匂宮)は、去年の春の挿頭の歌の贈答を
お思い出しになって、その折にお供して見聞きなさった君達なども、
(君達)「なんとも奥ゆかしかった親王(八の宮の別荘)のお住いを、
もう二度と見られなくなってしまいまして」
などと、おおかた無常の世の中のはかなさを口々に申しあげるので、
宮(今上天皇の皇子・匂宮)は、
(今上天皇の皇子・匂宮)「ぜひとも宇治を訪れたい」
と思わずにはいらっしゃれないのであった。【中古】 現代独作文 実用第一歩 (1959年)。
備考・
美しい大君と中の君の二人の姫君の父・八の宮は、桐壺天皇の皇子であり、朱雀天皇の弟で皇太子でもあった。【中古】 社会的学習と模倣 (1956年)。本来なら次期天皇と目されていたが政変により都を離れ宇治に住む。画帖 絵 書道。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。【中古】 日本商船隊の崩壊 (1949年)。
《Beneath the Oak (椎本)》
They were easily amused, thought the princesses.
"If he were here to pluck these mountain ferns,
Then might we find in them a sign of spring."
And Nakanokimi:
"Without our father, how are we to praise
The cress that sends its shoots through banks of snow?"
Such were the trifles with which they passed their days.
Neither Niou nor Kaoru missed an occasion for greetings.
They came in such numbers, indeed, as to be something of a nuisance,
and with my usual carelessness I failed to make note of them.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《柯根(椎本)》
:“山自有味,看到草木枯,
知道春秋,也是很可喜的。★B57和本明治期書道「鳴鶴日下部先生書帖(王羲之/蘭亭記)」1帖/古書古文書/手書き。
”但女公子想:“有什可喜?”
大女公子便吟曰:“家君若在山中住,
蕨喜早春。【中古】 悪政・銃声・乱世 風雲四十年の記録 (1961年)。”二女公子也吟道:
“雪深汀畔青芹小,家已无欲献?”
人只是如此吟漫咏,消磨月。松方正義述『松方伯時務談』明治30年 国民新聞社刊 明治時代の憲政論・政治論。
薰中言和匂王逢逢都有信来。【中古】 工芸概論 (1955年)。
但多半是无甚意味的冗,照例省略不。絵本初心柱立。
花盛之,匂王回想起去春咏
“效插”之女公子之事。興亜研究会編『現地編輯 大陸旅行案内 満洲・北支那・中支那・南支那』昭和15年 大東出版社刊 中国全土の歴史・文化・風俗・名所旧跡を紹介。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。【中古】 サラリー・ガール (1953年)。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。f23122904〇増補改正 俳諧歳時記栞草 藍亭青藍 全5冊揃 嘉永4年 英屋大助 三書堂梓 曲亭馬琴『俳諧歳時記』増補〇和本 古書 古文書。
左の写真が「源氏物語」椎本の巻の末尾(原本番号38-B)の押印。【中古】 工業用水とその水質管理 (1961年)。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。☆E0199和本幕末期写本「滬藩浪士檄文」1冊/富南基迺園という人物が写したもの/古書古文書/手書き。冬姫は内大臣・通誠の養女。【中古】 熱力学 (1971年)。
冬姫は通称。【中古】 国語音韻史の研究 (1957年)。正式な名は伊達貞子。☆3398和本江戸寛延2年(1749)浄瑠璃丸本「待宵侍従優美蔵人源平布引滝」全1冊/並木千柳/三好松洛/古書古文書/木版摺り。左端の写真は「椎本の巻」末尾の拡大写真。【中古】 人形に心あり (1956年)。
上の篆書体は、「升天入地求之遍」【天にのぼり地に入りてこれを求めることあまねし】の押印。【中古】 経済分析の基礎 (1967年)。
篆書体の左の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真右上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。【中古】 民事法研究 第2巻 (1954年)。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。吾嬬路記。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(椎本の巻)MRI 46―34B
自筆二つの印のうち上は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款。【中古】 雪氷十年 最近雪氷学の概観 (1949年)。
「源氏物語」「椎本の巻」主人公・椎本の資料
下記写真は、「源氏物語絵巻」の中に描かれる大君・中の君の姫君と匂宮と薫の君。【中古】 仕事の世界 (1951年)。
「源氏物語絵巻 」椎本(大分美術館所蔵)舟に乗り、楽器を弾きながら
八の宮邸に向かう匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君。廣大圓無礙大悲心陀羅尼会訳5丁 大悲心陀羅尼修行念誦略儀 10丁 民国12年 白紙刷 1冊 唐本 仏書 古文書。邸の中は大君と中の君
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。【中古】 学校図書館の管理と運用 (1963年)。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行
源氏物語「椎本」原本に記されております。【中古】 音波物性 (1973年) (科学シリーズ・物性 7 )。紫式部が「椎本」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「椎本の巻」を書いていることがわかります。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原大膳太夫長時 犬甘 古文書。この原詩の言葉の引用は、「椎本の巻」に用いられていることで広く知られている。【中古】 義務教育の理論 (1968年)。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。☆E0096和本江戸期徳川家康伝記写本「三河後風土記」22冊/古書古文書/手書き。
「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。都のてぶり。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。【中古】 都市の黒人ブルース (1968年)。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書 書状 歴史的逸品。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。【中古】 人間存在の倫理 (1967年) (実存主義叢書 第16 )。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。【中古】 美と力 1964 Tokyo Olympics (1964年)。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【中古】 回顧六十五年 (1953年)。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。【中古】 簿記教科書 (1956年)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。【中古】 渓流・清流を探ねて つりと人生 (1955年)。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。古書 江戸時代 貝原篤信 貝原益軒 新編 増補和漢名數 上・下 元禄五年。撮影後、展示のために再表装をしております。為永春水作 尾形月耕画『梅暦余興春色辰巳園』(2冊=第2,3編)明治15年 武田政吉/鶴声社刊 明治時代和本 彩色木版画 浮世絵 錦絵。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。みだれ髪 四版 訂正改版 与謝野晶子 藤島武二画。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【中古】 宗教哲学 (1955年) (現代キリスト教シリーズ 第9 )。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。【中古】 純潔について (1950年)。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【中古】 塑性理論の基礎 (1971年)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。皇朝史略 8冊。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【中古】 御岳の歴史 (1966年)。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。m◆6* 補義荘子因 獨見附標 全6冊揃 浪華書肆 前川文栄堂 和本 古書 /P6。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。☆E0116和本江戸期田沼意知暗殺写本「始末太平記」5冊揃い/古書古文書/手書き/天明七年御買上米一件/田沼意次。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。古今合璧事類備要 附索引 全4冊 中文 宋・謝維新撰。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。【中古】 人物にっぽん音楽誌 明日のために・この12の個性について考える (1963年)。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。【中古】 世界音楽教育史 (1958年)。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。【中古】 映画とともに (1953年)。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。英烈遺事。母は後水尾天皇皇女女二宮。【中古】 政府と人民 (1955年) (時代の窓)。実母は近衛家女房(瑤林院)。【中古】 文学の宿命 (1940年)。幼名は多治丸。此花 雅俗文庫 宮武外骨 3,8,6,7,5,9枝 破蕾号 2 洞落号 4枝 10号 合本2冊 浮世絵研究誌。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【中古】 吊構造 (1975年)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【中古】 コトバことば言葉 (1960年)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。私の見た霊界と永生 岩橋武夫 昭10 ヘレン・ケラー エスペラント キリスト教新約聖書神学宗教カトリックプロテスタントルターカルヴァンOF。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【中古】 近代絵画史 (1962年)。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。【中古】 エミール・アレのフランススキー術 (1955年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。【中古】 不完全競争の経済学 (1957年) (現代経済学名著選集 第1 )。
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