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「心寧累自息」漢文・白楽天
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大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品 | ||||
商品説明(来歴) | 大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。■辯護士用・児玉天民(太古研究會本部)寫本編輯。。和本 江戸期 通俗西遊記 三編 (六冊) 一・二・三・四・五・七 【書林 高橋平助 高橋喜助】。光輝・支那事変出征記念写真帖/隊伍堂々青島上陸/昭和13年。1946年 聚興誠銀行 支票 検索⇒銀票 銀号 銭荘 肉筆 朱印 支那 戦時 日中戦争 中華民国 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 水印 銀銭票 荘票。【古書】あヽ玉杯に花うけて。●極上和本YM2668●建営往来[〈乾坤〉建営往来]明治年間刊 稀書往来物 京都 建築業組合内養成所習字部板。和本『四體世話千字文』全2冊 巻菱湖集字楷書 明治11年 村田海石三體/加筆 木版刷り 書道 習字 法帖 古典籍。大蔵経曼荼羅和讃 大靖釈尊教會大日本護國本部 明治32 仏教 検)陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗 戦前古書和書NY。おくのほそ道 松尾芭蕉著 寛政元歳酉仲秋再板。再住方廣開堂法 深奥山方廣萬寿禅寺開堂拙語 文政12 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代静岡県浜松市浜名区 禅宗仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗NY。新編裁縫教科書 下巻 今村順子 大正2年 ヴィンテージ ビンテージ アンティーク 古書 当時物 本 レア 大正ロマン レトロ 裁縫 家庭科 教科書。●極上和本YM2918●〈新板〉教訓書〈并〉含状[初登山手習教訓書・義経含状](慶安4年)稀書往来物。深奥山方廣萬寿禅寺 文政2 開堂拙語 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。大正書簡文 脇坂景城 大阪 田中宋榮堂 ヴィンテージ ビンテージ アンティーク 古書 当時物 本 レア 大正ロマン 大正 レトロ レア。●極上和本YM2814●〈勧善示蒙〉家職要道(明治8年)正司南鴃 松川半山 経済 美本 ゆうパック着払い。楽しい我が家のお料理 櫻井ちか子 実業之日本社 大正ロマン ヴィンテージ アンティーク ビンテージ 古書 本 大正 当時物 レア 料理本。●極上和本YM2939●〈世話難字・頭書図尽〉曽我状絵抄(宝永5年)稀書往来物 他に所蔵なし 原装題簽付 美本。い32-048 書盡大觀 大正5年12月24日発行。再住深奥山方廣萬寿禅寺 開堂拙語 天保2 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。【古文書】蔵出し ■慶安版(1649年)「浄土名目図見聞(上・下)』仏教和本古文書■ ※虫食いあり(画像参照)。支那 古籍善本 唐本漢籍 皇朝類苑 皇宋事寶類 宋朝 木版刷 彫版 刻経 玉扣 木刻本 筒子頁 殿本 套色印 宣紙 白棉紙 影本 梅原郁 武進董氏刊。1859年 観音経 折帖 検索⇒経折本 肉筆 写経 佛経巻 藏経洞 古籍善本 唐本漢籍 支那 敦煌 彫版 刻経 玉扣 木刻本 筒子頁 殿本 套色印 宣紙。人形代手書き諸生靈祟悩病難除御秘符[VBp8]。●極上和本YM2813●〈民家少年〉七福神利生伝 心学 段塚六郎左衛門作 文化7年 蓍屋宗八板 原装題簽付 稀書。●極上和本YM2896●手嶋堵庵先生事蹟[手島先生事蹟]石門心学 天保5年・本屋吉兵衛板 稀書・美本。鳳凰から野鳥まで幅広く載った当時の貴重な本!江戸期ビンテージ 鳥の図解本 図鑑 古書 1790年代 SMN604。古い白帖 短冊帖 大型 両面 無地 3連 全50面 絹地 重厚 金縁 折本 画帖 書道 絵画 手習い 和本 古書 古筆切 和紙 古文書 古典籍。深奥山方廣萬寿禅寺 開堂拙語 慶應3 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。日本語教科書 台湾中華民国教科書 巻1 昭和13 中華民国27年 検)台湾支那満州中国 尋常小学校 戦前教育学 明治大正古書OI。和本「東海道 木曽路 道中記」天明/江戸時代 須原屋茂兵衛/版 絵本 古地図 木版摺。■詩集『地球を弔ふ』及『AnElegyOnTheEarth~英譯「地球を弔ふ」』中山忠直著。嵐山社/丸善(株)發行。。明治24年売薬許可 検索:神奈川県 役所朱印 古文書 公文 官庁許可書類 公式証書 古本古書和本 江戸時代物当時物 希少貴重。●極上和本YM2932●〈新板〉大坂進・返状 元禄頃刊 藤田板 稀書往来物 美本。和本 文政六年 通俗西遊記 四編 (七冊) 一~六下 【大阪書林 河内屋長兵衛】。1939年 松坂屋 名作同人 和服図録 着物 呉服 検索: 友禅 小紋 振袖 型染 和装 帯 写真集 日本伝統工芸 織物 銀彩 染物 浴衣 留袖 図鑑 原色。●極上和本YM2671●便用謡(享保8年)稀書 謡曲 往来物 三浦久之丞庚妥 多彩な知識・教養を15曲の謡曲に綴った小謡本兼往来物。満洲彩色地図 鳥観図 俯瞰図 検索⇒新京 奉天 関東軍閥 溥儀 総督府 南満鉄 馬賊 張学良 馬占山 生写真 古建築 中華民国 支那 帝国 安東県。芭蕉翁發句集 上下巻 五升菴蝶夢自序編 安永三年午年七月刋。深奥山方廣萬寿禅寺入寺拙語 安永8 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。日本語教科書 台湾中華民国教科書 巻2 昭和13 中華民国27年 検)台湾支那満州中国 尋常小学校 戦前教育学 明治大正古書OI。深奥山方廣萬寿禅寺 開堂拙語 明和4 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 禅宗 栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。●極上和本YM2778●教訓世中百首 世中百首絵鈔 天保2年序 荒木田守武 度会延佳 天保2年[伊勢]豊宮崎文庫蔵板 往来物 教訓 和歌 極美本。★古書★ <限定800部>吉田 暎二 著 【 淸長 】 昭和28年9月発行(B561)。A_文政5年1822年改正再版/小本/袖珍本/四書字引【全】昔の漢字辞典。●極上和本YM2946●女用文綾錦(安永9年)仙台・伊勢屋半右衛門板 稀書往来物 原装題簽付 美本。明治期ビンテージ 「各種雛形精密圖入 銃砲正價報告書 上」 附取扱説明 金丸謙次郎著 非売品 明治27年9月改正 1890年代 SMN604(7-6)。福寿経綸録 容有子 天明元年 政治学国政論国学 検)仏教神道 本居宣長 戦前明治大正古書和書古文書写本古本OM。希少本 ★ 高田市史(附録:上越発展策) ★ 大正3年(1914)。Y3D1-240607 レア[梧窓漫筆 巻下 畏天知命畏聖三録 大田元貞]。異常は正常を拡大して見せてくれる 『異常心理学講座』 みすず書房刊。和本 文中子 全4冊 深田厚齋校正 文榮堂藏版。Y90L3-240403 レア[師範漢文 新制版 巻2 簡野道明]橋本左内。俳諧七部集 全七巻 元禄七歳次甲戌六月廿八日〜元禄十一寅五月吉日刋。【古文書】蔵出し ■極稀!江戸版和本『源氏物語湖月抄・蛍の巻』紫式部古文書■。K3C3-240530 レア[新刻 太平記 貞享5年刊 バラまとめて11冊セット]藤井寺合戦事 住吉合戦事。能登外浦の釣り 図解入門 航空写真。時局に対する仏印態度 昭13 日本外交協會秘密文書 ガリ版 武器輸送 日本人放逐事件 旧日本軍大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊戦前NY。クン印補正・上下2冊/和装本/豊臣秀吉・武田信玄・伊藤仁斎・狩野画家・宋人名家・元人名家及釈道・明人名家及釈道・清人名家・995人。い52-037 松月堂古流 日本生花司 伝書 解説付。1867年 葛飾為斎 花鳥山水 漫画早引 初編/「画本冠附」首編 19丁 葛飾北斎の門人 江戸和本 木版画 人物絵 絵本 和本 古書 ②E
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京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「澪標(みおつくし)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
原文は「源氏物語・澪標の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。大正7年第6版凾付。後半「忍術魔法術」縷々詳述。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。
出品した「源氏物語」は澪標(みおつくし)の内容の要旨
「澪標の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第14帖。源氏の君が都へ戻った翌年の2月、朱雀帝が譲位し、冷泉帝が即位した。11歳になった冷泉帝は、年齢より大人びて源氏の生き写しのような美しさであった。源氏の君は内大臣となり、政界は源氏の君にとって追い風となる情勢であった。親友の頭中将も、権中納言に昇進し、12歳になる娘を入内(帝の妃となるため後宮―妃たちの御殿―に入ること)させようと大切に育てていた。二条院で源氏の君の帰りを待ちわびていた紫の上への思いもあり、内大臣という立場も重なって、源氏の君は以前のように軽々しく恋人のもとへ出歩くこともできなくなっていた。その秋に、源氏の君は住吉にお礼参りのため参詣した。偶然にも明石の君も参詣に来ていたが、源氏の盛大な行列に気後れし、身分の差を感じながら遠くに源氏一行を眺めるだけであった。このことを知った源氏は、歌と慰めの言葉を送った。源氏は斎宮への未練を感じつつも、御息所との約束を守り斎宮を自らの養女に迎える。朱雀院から斎宮を妃にとの要望が来ていたが、源氏は藤壺の助言を得て、斎宮を冷泉帝へ入内させることにした。
「澪標(みおつくし)」自筆原本の上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。この言葉は、「澪標」の巻の原文には「みつからも、もて離れたまへるすちは、さらにあるましきことと思(おほ)す」とある。原文の意味は、明石から帰京した源氏の君は政界に復帰したのち、東宮が冷泉天皇に即位する。源氏の君は、冷泉天皇の父として太政天皇に即位する。源氏の君は望外の喜びとし、ご自身としてもおよびもつかぬ帝の父としての位に至るなど、あり得べからざることと思うと同時に「心が安らかであれば、それまでの煩悩が消えていた」という意味である。篆書印の詩文は、この原文と白楽天の心情を重ね合わせたものと推定される。紫式部が「澪標」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかるし、篆書印を押捺した人も白楽天の漢詩に精通していたことを伺い知ることができる。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
「澪標」の巻は英文で「Channel Buoys」と表記されます。
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
「自筆原本」
自筆右下の印2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。
自筆上部の「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
原文には「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。》
《きこ(聞)えつつ(続)けて、》・・・・「ひとりしてなつるは袖の
ほと(程)なきにおほ(覆)ふはかりのかけ(蔭)をしそまつ」と、きこ(聞)えたり。
あやしきまて御心にかゝり、ゆかしうおほ(思)さる。女君には、
ことにあらはしておさおさきこ(聞)えたま(給)はぬを、
「き(聞)ゝあは(合)せ給ふこと(事)もこそ」と、おほ(思)して、
「さこそあなれ。あやしうねちけたるわさなりや。●昭和34年第1号~昭和35年第19号迄を綺麗に合本製本。高梨純一編集。さもおはせなむ、
と、思ふあたりには心もとなくて、思ひの外にくち(口)お(惜)しく
なん。女にてさへあなれは、いとこそ物しけれ。たつ(尋)ね
し(知)らてもありぬへきこと(事)なれと、さはえ思ひすつましき
わさなりけり。よ(呼)ひにやりて、み(見)せ奉らん。
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
《東宮(皇太子)が冷泉天皇として即位、源氏の君内大臣に昇進》
《予言通り、源氏の君と明石の姫君の間に姫君が誕生》
《明石の姫君の乳母として桐壺院(前桐壺天皇)に仕えた宣旨の娘を乳母に選ぶ》
《未来の后となる明石の姫君の乳母の明石に到着、明石の人々喜ぶ》
《源氏の君、明石の姫君の誕生を紫の上にお話しをする》
《(宣旨の娘の乳母)「姫君(明石の姫君)を同行しすぐ都に帰参いたしたい」
と、宣旨の娘の乳母は、京への帰りを急いで迷惑がっているので、明石の君は
思うことのあれこれを少しお書き申して、》・・・・
(明石の君)「この私ひとりで姫君(明石の姫君)を撫でるのには袖が狭すぎますので、
覆うばかりの、広いあなたのお袖の庇護(ひご)をお待ちしております」
と申しあげた。源氏の君は、不思議なほど姫君のことがお心にかかって、
早くごらんになりたいお気持である。
《七・源氏の君、明石の姫君の誕生を紫の上にお話しをする》
女君(紫の上)には、これまで明石の君のことを言葉に出しては
ほとんどお打ち明けになっていないので、もし他からお聞き及びになってはとお気づかいになって、
(源氏の君)「こういうことなのだそうです。物事は妙にうまくいかないものですね。
おできになってほしいと思うあたりではじれったくその気(け)もなくて、
意外なあたりに生れてくるとは残念です。それに女の子だということですから、
まことにおもしろくありません。
放っておいてもかまわないようなものですが、そうまでは
うち捨てておくこともできぬものですね。
そのうち姫君(明石の姫君)を迎えにやってあなたに
お見せしましょう。・・・・・《おにくみにならないでください」
と申しあげなさると、女君(紫の上)は、お顔がぽっと赤らんで、
「いやですこと。いつも、私がそうした嫉妬(しつと)深い性分のように
ご注意をいただきますが、そのような私の心の程が自分ながら
疎ましゅうございます。でも、他人(ひと)をにくむということは、いつ覚えることでしょうか」》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
《Channel Buoys (澪標)》
She set down something of her feelings in a letter to Genji,
to which she added this poem:
"These sleeves are much too narrow to offer protection.
The blossom awaits those all-encompassing ones."
Genji was astonished at himself, that his daughter should be
so much on his mind and that he should so long to see her.
He had said little to Murasaki of the events at Akashi,
but he feared that she might have the story from someone else.
"And that would seem to be the situation," he said,
concluding his account.
"Somehow everything has gone wrong.
I don't have children where I really want them,
and now there is a child in a very unlikely place.
And it is a girl.
I could of course simply disown her, but that is the sort of thing
I do not seem capable of.
I will bring her here one of these days
and let you have a look at her.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《航(澪標)》
“身幼女,袖狭不周身。欲蒙朝衣,朝朝待使君。”
源氏公子得了回音,常想念个儿,但望早日面。
明石孕之事,源氏公子向未紫明言。
但恐将来会从听到,反而不好,因此争先向告白了:
“不,有此事。天公真作怪:
巴望生育的,偏偏不生,而无心于此的,反而生了,
真乃一大憾!加之是个女孩,更不足道。
即使放弃不管,亦无不可。然而竟不是法。
不久我想接到里来,看看。但愿不要嫉!”
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」澪標の巻の末尾(原本番号36-A)の押印。木村正辭著兼發行。長尾景弼印刷。。1940年 英商麦加利銀行 小切手 検索⇒支票 銀票 銀号 銭荘 肉筆 朱印 支那 戦時 日中戦争 中華民国 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 銀銭票。大糸線 昭和21年、25年の災害調査写真資料 生写真40葉以上。明治? 大正? 江戸時代風? 教科書? ヴィンテージ ビンテージ アンティーク 古書 当時物 本 レア 昭和 レトロ 絵入 古美術 古文書。E02-152 受験本位の日本歴史 三省堂 全体的に汚れ・破れ・書き込み・記名塗り潰し有り 状態悪い レトロ。い52-036 五體字類 鳴寉老久署寿 書き込み押印あり。030【レトロ雑貨】時代物 仏書 仏教 選擇集 1冊 寛文六年 1666年 古本 古書 和本。戦乱の欧州に使ひして 昭15 日本外交協會秘密文書 ガリ版 旧日本軍 大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊軍艦兵法自衛隊戦前NY。弘法大師念仏秘事口伝 明治26 真言宗 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗 戦前明治大正古書和書古文書写本OI。【閑】御文 明如 文明(江戸) 東本願寺 御文 法要儀式古典籍 和本 当時木箱付 仏教書 御文章★時代物★6D0601。●極上和本YM2883●莫妄想 石門心学 石田梅岩仮託 稀書。和本 江戸時代 陳耕勧化文義林 本。印判秘決集 全。『訓閲集』(きんえつしゅう)は大江家と多田源氏に伝わったとされる軍学書!江戸後期ビンテージ 訓閲集軍氣巻 書三巻 古書 SMN604。0022177 和爾雅 全8冊(8巻)揃 貝原好古 大井七郎兵衛 元禄7。E05-050 配電及送電 共立出版 記名塗り潰し・書き込み多数・全体的に汚れ有り レトロ。E05-054 電気工学原論 中巻 破れ・書き込み・全体的に汚れ有り レトロ。深奥山方廣萬寿禅寺再入寺 開堂拙語 安政5 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。■『日本古代文字考(小槇舎藏版)』上下揃。但し奥付に明治21年初刷奥付Copyが貼付される等幾つか瑕疵有ります。。和本 絵本太閤記 初編 全12冊 寛政九年 法橋玉山絵 昌盛堂蔵。■竹内文献『萬國ノ棟梁天皇御系圖寶ノ巻(前巻/後巻)』複寫製本1冊。神代文字其の他。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。
「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。昭和14/16初版帙凾付。一部署名有。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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